Sony Style(ソニースタイル)

 

飛ぶ教室 

 

 思春期はむちゃくちゃな時期でもあります。親や教師たちは、このむちゃくちゃ族に対して、どうすればいいのか?子供たちから腕力をすべて取り上げてしまったらどうなるのだろう?逆に暴力や無軌道ぶりに対して「暖かい理解」を示すべきなのだろうか?こうした問いに答えてくれる最良のテキストがエーリッヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」ではないでしょうか?
 1933年ナチスドイツの統制下で焚書の憂き目にあったケストナーがドイツで出版できた唯一の本がこの「飛ぶ教室」だったといいます。この小説では「タバコをすいながら、がいとうのえりを高くたてて、もったいぶった足どり」で歩いてゆく上級生や、「四階のせまい窓のふちの上で、危うくからだの平均をとりながら壁にそって部屋から部屋へと、移って」拍手をされるヒーロー、こうもり傘を手にパラシュート降下したり、血まみれになりながら他の学校の生徒と決闘をしたりする子供たちの姿が描かれています。
 ケストナーの「飛ぶ教室」は岩波の「ケストナー少年文学全集」に納められている高橋健二訳他、講談社の「青い鳥文庫」の山口四郎訳、さらに2003年には講談社文庫にも収められるまでになっています。講談社文庫の解説に「子どもだって、ときにはずいぶん悲しく、不幸なことだってあるのだ……。20世紀初頭。孤独なジョーニー、頭の切れるマルチン、腕っぷしの強いマチアス、弱虫なウリー、風変わりなゼバスチャン……個性溢れる5人の生徒たちが、寮生活の中で心の成長を遂げる。みんなわたしたちのまわりにいる少年たちです。5人の生い立ちと性格はそれぞれにちがいますが、正義と友情という点ではみんなひとつに結ばれています。これは血も涙もあるあたたかい物語です」。と記されているように、本当に「血も涙もあるあたたかい物語」です。

 ケストナーはドイツのペンクラブの会長も勤め、訳者である高橋健二氏とも交流があり、広島・長崎の被爆にたいして強い憤りを持ち反核運動にも熱心だったと聞いています。その彼が日本の子供たちの犯罪を耳にしたら一体何と言うでしょう?
 ケストナーは第一次・第二次世界大戦を通してずっとドイツに暮らしていました。第一次大戦では兵役中に上官に痛めつけられて心臓を悪くしてしまいます。続く第二次大戦では12年にも及ぶナチス政権下で本を焼かれ、国内での著作を禁じられ、常に命を危険にさらしながらも亡命することを拒み続けた根っからの平和主義者でした。
 ケストナーの時代では子供たちはみな被害者でした。でも、ケストナーの子供たちはいつも戦っていました。困難に立ち向かう勇気を持っていたのです。マルチンは社会によって父親が職を奪われ、貧しさと戦っていましたし、ジョ−ニーは母親に見捨てられ、父親に捨てられた孤独と戦っていました。貴族出身のウリーはチビで弱虫で友人に軽蔑されることを恐れていました。ゼバスチャンはニヒリストで自分の中の孤独と戦っていました。そして大柄なマチアスは空腹と戦っていたのです。
 ケストナーはドイツのペンクラブの会長も勤め、訳者である高橋健二氏とも交流があり、広島・長崎の被爆にたいして強い憤りを持ち反核運動にも熱心だったと聞いています。その彼が日本の子供たちの犯罪を耳にしたら一体何と言うでしょう?
 ケストナーは第一次・第二次世界大戦を通してずっとドイツに暮らしていました。第一次大戦では兵役中に上官に痛めつけられて心臓を悪くしてしまいます。続く第二次大戦では12年にも及ぶナチス政権下で本を焼かれ、国内での著作を禁じられ、常に命を危険にさらしながらも亡命することを拒み続けた根っからの平和主義者でした。
 ケストナーの時代では子供たちはみな被害者でした。でも、ケストナーの子供たちはいつも戦っていました。困難に立ち向かう勇気を持っていたのです。マルチンは社会によって父親が職を奪われ、貧しさと戦っていましたし、ジョ−ニーは母親に見捨てられ、父親に捨てられた孤独と戦っていました。貴族出身のウリーはチビで弱虫で友人に軽蔑されることを恐れていました。ゼバスチャンはニヒリストで自分の中の孤独と戦っていました。そして大柄なマチアスは空腹と戦っていたのです。
 ケストナーはドイツのペンクラブの会長も勤め、訳者である高橋健二氏とも交流があり、広島・長崎の被爆にたいして強い憤りを持ち反核運動にも熱心だったと聞いています。その彼が日本の子供たちの犯罪を耳にしたら一体何と言うでしょう?
 ケストナーは第一次・第二次世界大戦を通してずっとドイツに暮らしていました。第一次大戦では兵役中に上官に痛めつけられて心臓を悪くしてしまいます。続く第二次大戦では12年にも及ぶナチス政権下で本を焼かれ、国内での著作を禁じられ、常に命を危険にさらしながらも亡命することを拒み続けた根っからの平和主義者でした。
 ケストナーの時代では子供たちはみな被害者でした。でも、ケストナーの子供たちはいつも戦っていました。困難に立ち向かう勇気を持っていたのです。マルチンは社会によって父親が職を奪われ、貧しさと戦っていましたし、ジョ−ニーは母親に見捨てられ、父親に捨てられた孤独と戦っていました。貴族出身のウリーはチビで弱虫で友人に軽蔑されることを恐れていました。ゼバスチャンはニヒリストで自分の中の孤独と戦っていました。そして大柄なマチアスは空腹と戦っていたのです。

 

 この二人の教師の言葉が、先の問いの答えになっているのではないでしょうか?この世界には子供はたくさんいます。大人たちがいくらいばっていても、世界は必ず彼らのものになるのです。私たち大人の役割はその子供たちを育み育てることなのではないでしょうか?今の大人は自分のことばかりで汲々としていて、とても子供のことまでかまっちゃいられないといった感じさえします。教育とは子供を教え導き育てることだったはずです。知識を教えることは教育の一部でしかないのですが、知識の中の些細な情報を覚えさせることに費やされる今の教育観をケストナーが知れば、痛烈な皮肉が返ってくることでしょう。
 確かに目に見えない「こころ」の部分を教えることは難しいと思います。情操教育と称して楽器の弾き方や絵の描き方を教えても「仏を作って魂入れず」になってしまっては何にもならないのです。「情操」とは「美しいもの、すぐれたものに接して感動する、情感豊かな心」のことなのです。そうした「こころ」を抜きにして技術だけを教えていては子供たちは形骸になってしまうでしょう。子供たちはみなそれぞれに未知の可能性を持っていますし、それを学ぶ力や意欲も持っているのです。それを、上手く導き育む導師がいないだけなのです。
 この国の教師は、かつての権威主義の反動からか、妙に物分りが良くなりすぎているような気がしています。これは教師に限ったことではないのかもしません。「自分は権威も何もなく、生徒と同等だとか友人だ」と主張する先生が増えています。また、そういう親も増えています。子供たち、特に思春期の子供たちには権威者が必要なのです。からいばりをする権威者ではなく、どこか一般人と異なる不自由をしのび、孤独に耐えて生きている本物の権威者が。「飛ぶ教室」で描かれている教師の姿はまさにこうした権威者の姿だと思います。
 ケストナーは「飛ぶ教室」のまえがきで「人間はいろいろな不幸にあいます。でもくじけてはいけない。へこたれるな、不死身になれ。そして勇気と賢さを発揮するのだ。しかし、賢さを伴なわない勇気は乱暴と同じであり、勇気を伴なわない賢さなどは何の役にもたたないのだ」と言っています。ナチスの圧政下で亡命せずに12年間もドイツ国内で戦い続けたケストナーの言葉だけに重みがあります。

Apple Store(Japan)

 

サウンドドックシリーズ

 

    time

 

・ Hello ・